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創造工学研修(2013年度):「東北地方の近代土木遺産と土木の偉人を調べよう」

仙台市煉瓦下水道


略歴


1600年四谷用水の工事が始まる。
90年後、四谷用水完成。
1873年町裏に小水路を開削。
1877年立町、大町、肴町を通り本荒町に至る木製の暗渠を敷設。
1878年主要幹線の改修工事開始。およそ二年かかった。
1880年洪水が起こり、四谷堰が流失。
1882年コレラが流行。
1891年仙台市内溝渠測量事務規定を制定。同時に測量を開始した。
1893年バルトン技師が来仙し、現地測量が行われた。測量終了後、報告書が提出された。
1897年バルトンの計画通り、細横丁一帯から広瀬川までの15インチの陶製管を通す工事の設計が完了。
同時に、中島鋭治らによる市民団体の下水道調査設計が開始された。
1898年設計が完了した。が、上水道工事、下水道工事を同時に行うには余りに巨額であることが判明し、急を要する下水道工事が優先されることが決まる。
1899年第一期工事として、細横丁付近の工事が始まる。翌90年に竣工。
1899年第二期工事として、第二区、第七区、第九区の一部と榴ヶ岡脇の下水道改良工事を施行した。
第二区は定禅寺通以北、勾当台通以西、細横丁および国分町通を幹線とし、広瀬川に排水口を持つ。第七区は新伝馬町以東名掛町二十日町を幹線とし、第九区の一部を通って藤川に排水している。
それぞれその一帯に支管をもったが99年から1901年までの継続工事で予定の工程を終了した。
1903年第三期工事として、国分町、南町を含む第四区の工事が着工した。
1904年日露戦争開戦。資金面が苦しくなったせいか工事がいったん中止となった。
1906年第四期工事の継続が決定。区画が大きい第五区(清水小路南端から土樋)や第九区(現在の大学病院前から広瀬川排水口)が竣工された。
2010年土木学会に「今なお現役の貴重な煉瓦下水道施設群」として奨励土木遺産と認定された。
2011年東日本大震災発生。しかし、一部の煉瓦が落ちたりするだけに被害は止まり大きな改修などは必要なかった。

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Last update: January 31, 2014